つげ櫛の歴史
古来から日本ではつげ櫛が愛用されてきました。
大阪府貝塚市には、
「欽明天皇(6世紀後半)のころ、8種類の櫛つくりの器具を持った異国人が貝塚市二色の浜に流れ着き、櫛の製法を伝授した。」という言い伝えがあります。
(大阪府の伝統工芸品)
また、万葉集の播磨娘子(はりまのおとめ)が 石川丈夫(いしかわのまえつきみ)へ贈った和歌につげ櫛が登場しています。
「君なくは なぞ身装はむ 櫛げなる 黄楊の小櫛も 取らむとも思はず 」(
あなた様がいらっしゃらなければ、どうして私は身を飾りましょうか。
化粧箱のつげの櫛さえ取ろうと思いません。
)
この頃からつげ櫛は女性のおしゃれアイテムだったのですね。
江戸時代の後期になって、女性の髪形が多様化してくると、髪結いの需要に伴って、髪を結うための様々な形のつげ櫛が登場します。
つげは日本にある木材の中で最も緻密で均一な材質なので、 強度のあるプラスティックが登場するまで、つげは重要な資材でした。
髪や肌への優しさと強度を兼ね備えていることが、つげ櫛が長く愛されてきた大きな理由であることは間違いありません。